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「アベック」はもう死語?カップルとの違いと、なぜか野球界で生き残るその謎

日々の疑問

先日、若い世代と話していて「あのアベックがさ〜」と言ったら、盛大に笑われてしまいました。 「えっ、アベック!? 古っ!」

「アベックホームランって言うだろ! カップルホームランとは言わないんだよ!」と抵抗を試みたものの、虚しく響く私の声。昭和世代の私としては、どちらも似たようなものだと思っていたのですが……。

今回は、この「アベック」と「カップル」の決定的な違いと、なぜ野球界だけがこの言葉を頑なに守り続けているのか、その謎に迫ります。

アベックの語源は、実は「おフランス」

意外かもしれませんが、「アベック(avec)」はフランス語です。英語の「with」にあたる前置詞で、本来は「〜と一緒に」という機能的な意味を持っています。

この言葉が日本に上陸したのは1920年代後半、いわゆる昭和初期のこと。当時のパリ帰りの文化人やモボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)たちが、最先端の知的な響きとして使い始めたのが流行のきっかけでした。

今の感覚で言えば「エモい」や「チルい」といったトレンドワードに近い立ち位置ですが、そこにはフランス文化への強い憧れと、少し鼻にかかったような「都会的でハイカラなプライド」が込められていました。単に男女を指す言葉ではなく、当時の若者にとっては、自分たちを特別な存在として演出するための魔法のスパイスだったんですね。

なぜ「カップル」に敗北したのか?

今や「カップル」という呼び方が主流ですが、これには単なる流行の移り変わり以上の、深い「視点の変化」がありました。

  • アベック(昭和の客観視点): 「男女が並んで歩いている状態」を外側から描写する言葉です。そこには、通りすがりの第三者が「おや、あのアベックはいい雰囲気だね」と、少し距離を置いて眺めるような、どこか物語の登場人物を観察するようなニュアンスが強く含まれていました。
  • カップル(令和の主観・関係視点): 対して現代の「カップル」は、二人の内側にある「関係性(パートナーシップ)」そのものを重視します。自分たちのことを「私たちアベックです」と自称するのは不自然ですが、「私たちカップルです」とは胸を張って言える。この「当事者意識」や「個々の結びつき」を尊重する現代の価値観に、カップルという言葉がピタリとハマったのかもしれません。

1990年代に入り、トレンディドラマの華やかな世界観の中で「カップル」が洗練された響きとして定着する一方で、「アベック」は公園の貸しボートや、昭和の観光地を象徴するような、少しのどかで古風なイメージの棚へと追いやられてしまったのです。

「カップルホームラン」の違和感…スポーツ界の聖域

さて、ここで冒頭の「抵抗」について詳しく考えてみましょう。実はスポーツの世界、とりわけプロ野球やサッカーの報道においては、今でも「アベック」が頼もしい現役選手として君臨しています。

  • アベック本塁打: 昭和の怪物、王・長嶋の「ON砲」が放った連発弾はその象徴です。二人の主砲が並び立つ姿は、単なる得点以上に「同じ志を持つ者たちの共演」という美学を感じさせます。
  • アベック優勝: 男子・女子の両部門を同時に制覇する、まさに「偉業の並走」を指します。
  • アベック弾: サッカーなどで、チームの看板スター二人が揃ってゴールネットを揺らすこと。

もしこれを、現代風に無理やり言い換えてみたらどうなるでしょうか。 「今日の試合は、山田選手と村上選手のカップルホームランで快勝です!」

……いかがでしょうか。なんだか急に、二人の「プライベートな親密さ」や「甘い関係」を詮索してしまいそうな、妙に生々しい空気が漂いませんか?

スポーツ界で「アベック」が生き残っているのは、それが二人の個人的な恋愛感情を指すものではなく、「二つの独立した偉大な記録が、同じ時間・同じ場所で共鳴し合う」という、ストイックで気高い専門用語として完成されているからなのです。

哀愁の「死語」をどう使いこなすか


結論として、街中で無造作に「アベック」を使うと、間違いなく「昭和の化石」を発見したような目で見られます。しかし、その響きに愛着を持つ私たちは、決して悲しむ必要はありません。

もし若い子に笑われたり、ツッコミを入れられたりしたら、こう優雅に返してやりましょう。

  1. 「これはフランス語の古典的な用法に則った、アカデミックな表現なんだよ(キリッ)」 と、あえて知識の深さをアピールしてみる。
  2. 「野球において『カップルホームラン』なんて言ったら、戦う男たちの記録が台無しだからね」 と、スポーツマンシップを盾に取って野球通を気取る。
  3. 「アベックという響きに乗せて、古き良き昭和の文化的な風を君たちに届けているんだよ」 と、時代の伝道師として開き直る。

まとめ

言葉は生き物です。時代とともにその形や役割を刻々と変えていきます。 「アベック」という言葉の裏には、かつての日本人が西洋文化に寄せた憧れや、少し背伸びをした時代の記憶が、今も大切に保管されています。

たとえ世間では「死語」と呼ばれようとも、野球場の熱狂の中やスポーツニュースのテロップにその文字を見つけたときは、その「気高い共演の響き」を心から愛でていこうではありませんか。……さあ、今日もひいきのチームに、最高のアベック弾が飛び出すことを期待しましょう!

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